
正義の反対は、悪でしょうか?
いいえ——
実は、正義の反対もまた「正義」なのです。
世の中の争いごとの多くは、
お互いが“自分の正義”を振りかざしたぶつかり合いから生まれています。
どちらも、自分こそが正しく、相手こそが間違っていると信じて疑わない。
でもその正義の根っこには、たいてい「恐れ」や「不安」が潜んでいます。
だからこそ、どちらが悪でどちらが正しいという話ではないんです。
どちらも同じ土俵に立ち、同じ性質のエネルギーでぶつかり合っている。
つまり、似た者同士のミラー関係なんです。
相手が“悪”に見えるとき、
その相手と同じ視点・同じエネルギーで戦っているうちは、
自分もまた“悪”になってしまっているということに気づかなければなりません。
たとえば——
ワクチンに賛成する人と反対する人。
手作り食を推奨する人と否定する人。
猫を外に出すことに賛成の人と反対の人。
こんなふうに、意見が対立しているとき、
本当はその論争自体がズレているんです。
なぜなら、どちらも“間違い”ではなく、“正しい”から。
ただ、正しさの“基準”が違っているだけなんです。
真実は、いつも「状況」と「その子自身」によって変わるということ。
たとえば——
・猫が外に出られずに強いストレスを感じて病気になってしまうのなら、外に出る時間が必要なときもある。
・健康状態が整っていなければ、ワクチンを控えるべき時もある。
・生食がいい時もあれば、加熱食が向いている時もある。
・ペットフードが心地よい時もあれば、手作りでなければ整わないこともある。
「今、この瞬間の、その子にとっての正解」は、
誰かの正義ではなく、
その子自身の声に耳を傾けることでしか見つかりません。
二元論の中で、
「これが正しい」「あれは間違っている」と決めつけてしまえば、
その時の“本当に必要なもの”を選べなくなってしまいます。
そして、もしかつて否定していたものが、
今まさに自分や大切な存在にとって必要になったとしたら……
その選択肢を排除してしまっていた自分が、
結果として「健康」や「幸せ」から遠ざかってしまうのです。
だからこそ、
もし今あなたが何かの“正義”を強く握りしめているとしたら、
その反対の立場もまた、誰かにとっての“正義”であることを
ほんの少し思い出してみてください。
その気づきが、
あなたを二元論から自由にしてくれる第一歩になるかもしれません。
そして、
もっとやさしく柔らかく、
命に寄り添う選択ができるようになっていきますように。